サウジ女性の運転が禁止だった理由。そこにメスを入れた女性の話。

はじめに

イスラーム女性と社会進出の歴史について、偉大で勇気のある女性の話を紹介したい。彼女の功績を風化させないためにも。


マナル・アル・シャリフとは?

サウジアラビア人女性の地学者。

世界的に注目されるきっかけは、2011年にサウジアラビアで、車の運転をしている動画をアップしたことによる。



なぜ、サウジで女性の運転が禁止されていたの?


理由1:女性が巻き込まれる犯罪率が上がる

当時、サウジアラビアのとある大学教授は、車の運転によって、女性が巻き込まれる犯罪率が上がると指摘した。「強姦および淫乱、非嫡出および薬物の乱用、売春の発生率は女性ドライバーの多い国の方が、女性が運転をしていない国よりも高い。」と、ユネスコの研究を基盤に、この踏査を結論した。


理由2:卵巣や骨盤に損傷を引き起こすからダメ

サウジアラビアの聖職者シャイフ・サレハ・アルロヘイダン師は、車の運転をすることによって女性の身体、主に卵巣や骨盤に損傷を引き起こす可能性や影響を及ぼすとの発表した。


シャリフ、革命を起こす。WOMEN2DRIVE (女性ドライブキャンペーン) の背景

サウジアラビアでは、公共機関(鉄道や電車など)が十分に整っていないため、車が主流な社会である。そこで起きる問題とは以下の通り。日本の皆さんは、真夏の日本のど田舎で車が無い生活を想像して欲しい。


問題1:アッシーが秒で来ない問題。

裕福な家庭では、お付の運転手を雇い、24時間365日外出OK。

だが、これはごく限られた家庭だけである。そうでない場合、遠出・会社や学校からの帰宅することも、女性一人ではままならないのである。また、病気などの緊急時に、夫や親族の男性に連絡がつかない場合があり、問題視されていた。


問題2:アッシーが使えねえ。なら自分で運転した方がマシ。

運転免許が女性に対して発行されない。これは、女性にとって不自由なことであった。夏になると気温50度の灼熱地獄で、タクシーを捕まえるために屋外に出ることは危険である。

なので、シャリフはこのサウジアラビアの現状を変えたいと思いWOMEN2DRIVE(女性ドライブキャンペーン)を行った。



自分の車を運転した罪で捕まる

2011年6月17日、シャリフ(当時32歳)は、サウジアラビアにおける女性の車の運転禁止に反対し、YouTubeに自らが運転をしている動画を投稿した。

しかし、彼女は国際運転免許を取得かつ、運転基準を満たしているのに宗教警察に連行された。


そして、投獄される

自宅から車で数マイル運転したところで警察に捕まり、今後運転しないという契約書を書かされたシャリフ。

だが、その後日、再び逮捕され投獄された。


シャリフには女性の運転禁止に異議を唱えた(サウジアラビアの風紀を乱した罪)として投獄された。

また、10回の鞭打ちの刑の有罪判決が宣告されたのである。

しかし、判決に抗議する人が多かったこと、この出来事が世界中のメディアにとりあげられたせいもあってか、

後日にはサウジアラビアの王から恩赦が下され、この刑罰はなくなったのであった。


マナル・アル・シャリフのその後

国外では、女性の権利の正当性を求め英雄のように報道された。

しかし、

自国サウジアラビアでは、堕落した女、英雄気取りなどと国外とは真逆の報道がされた。

このような地域や社会的抑圧により、シャリフはサウジアラビアでの地学者としての地位を結果的に追われ、家族とともに国外へと移住した。


その後のサウジアラビアの変化、2018年に運転解禁

サウジアラビアの女性たちは、コーランに女性の運転を禁止しているような一説はどこにもないと主張し、女性の運転が宗教、法律に違法していないとして運転解禁運動を続けた。

シャリフが起こした行動は、サウジアラビアの女性活動家がその意思を引きづくかたちで現在も活動が行われた。


その後、ついに7年の月日を経て、サウジ経済社会改革の一環として、女性の運転解禁が実現されたのだった。

ドバイひとり会議

中東ドバイで働く奮闘日記