鳥籠のお姫様?サウジ女性の自由とは。

イスラーム圏の法律、厳しさはグラデーション

イスラーム圏はグラデーション(宗教規律の厳しさが国によって異なる)である、

とよく耳にするが、私も実際にその通りだと思う。


特に、GCC諸国では女性が羽織るアバヤの色、髪をどれくらい露出しているか、化粧の濃さなどで、その国の女性が社会的に得ている自由度を察することができると、独断と偏見で思っている。実際の指数とかないので、本当に私の勝手な推測である。

たとえば、UAEやクウェートでは白いアバヤ、ピンクのアバヤでファッション性が高い。今一番着る意味無いと思うのが、めっちゃ透け透けのオーガンザーアバヤ(シースルー)で、女性の服や身体の線が分かってしまうアバヤまである。


一番保守的な国、サウジアラビア

サウジアラビアにあるメッカはイスラームが発祥された土地である。

そのため、イスラーム教えを威厳高く守る保守派といわれる厳格なムスリムが多い。

その考えに従うと、男性たちは、女性たちを必要以上に外出させたくないのではないかと私は思う。


21歳以下の女性は行動するのに、男性の許可が必要

今まで、女性はすべてにおいて男性の許可が必要だった。自身の夫や父親などに、パスポートの取得許可、身分証明書の発行、教育機関への入学などにおいて、男性の許可が必要だったのだ。

しかし、2019年の8月に21歳以上の女性は、男性の許可無しに取得できるようになった。21歳、いわゆる世界基準で成人とみなされる年齢である。ここにも、サウジアラビアの国策が反映しているのがうかがえる。

女性の行動に制限がありまくるため、女性はあまり動けない。じゃ、誰がやるの?その答えは、もちろん男性である。


女性たちが出来ないことは、代わりに男性が行う

2014年の“THE WORLD POST”のインタビューで語られた、シャリフという女性活動家の印象的な一言がある。


「サウジアラビア人の男性はよく女性に対し、君たちは女王のようだと言う。けれども私たちは女王ではなく、ピスタチオだ。ナッツの身というのは殻によって覆われている。つまりは、いくら非常に良い教育がされても女性には行動の自由がない。これらはまるで、神がせっかく与えてくださった手足をわざわざ切断し、車いすに乗って生きるようなものだ。そして、その車いすを押すのが男性なのだ。」


サウジアラビアの多くの男性は、その車いすに乗った女性が行きたいという場所に連れて行ってくれるであろう。

女性が望む場所へいつでもどこでも連れて行ってあげるのが男性の役割であると考えているのかも知れない。

しかし、これは常に男性に○○される、という受け身の状態である。


もし、その男性が拒否をしたらどうなるだろうか。

そのようなことを踏まえて考えると、どうであろうか。

女性は守るもの、と多くのムスリム男性は考えているようだが、保護と支配は紙一重であるように私は思う。


女性の何を守りたいのか、女性をどうしたいのか。女性はその保護を必要としているのか。女性自身はどうしていきたいのか。


これは男女間の対立する問題ではなく、女性自身の問題でもあるのだと私は思う。    

自由な社会とは、それを構成する女性たちの自由なしにはありえないのも事実であるのだから、女性である彼女たちが自分の人生のハンドルを自分で握りたいと思うなら、社会による抑圧(シャーリア法の誤った解釈によってつくられた社会)に疑問を投げかけるべきであると私は思うのである。


行動代行の哀れな男たち
すっごい余談だが、
男性が代わりにやるを上手くフル活用し、男性を手のひらで転がし?鞭打ち?な女王のごとく君臨する、清楚系ジャイアン、オラオラ女子が存在する。
その行動代行を承る男達は、ストレスで禿げ散らかってるやら、目が死んでるやら、心身の負荷から歯ぎしりが激しいなどの悩みも垣間見える。
だけど、そんな男たちも心が広く?これが女性の性だからいいのであると、寛大なお心を持っているようだ。